舞雪

「く、っ…ぁ…」
 僅かに身を動かすだけで身体中の神経が悲鳴を上げる。酷く身体が重たい。呻き声を上げて咳き込むと鉄の味が口一杯に広がった。肉体的な痛みと。それから己の無力さへの精神的な苦しみと。漆黒の相貌から涙が溢れた。
「助けたいの?」
 不意にルキアの耳に女の声が届く。新たな敵か。だが既に自分にら戦う力など残されてはいない。
 血の海の中、自由の効かない身体を必死に動かし顔を上げ…そして、ルキアは息を呑んだ。
 いつの間に其処に居たのだろう。自らと良く似た風貌には愁いと優しさとが浮かべられ。身に纏った雪よりも白い衣が美しい。
 見知らぬ女性。
 だが、ルキアを誰よりも知っていて、
 そして、ルキアがずっと会いたかった人。
「……緋真、様…」
 名を呼ぶと女性は穏やかに微笑んだ。
 何故彼女が此処に居るのか。何より緋真は50年前に死した筈だ。
 動揺のあまり言葉を失うルキアの蒼白く血の気を失った頬に女はそっと手を伸ばす。
 冷たい。
 触れられた瞬間そう思ったが、その優しさ故か嫌悪は感じなかった。
「貴女の気持ちは良く判るわ。でも今はお休みなさい。貴女がこれ以上傷付く姿も、白哉様が悲しむお姿も見たくはない」
 だが…。孤独な白い牢に身を置いた日々を思い出す。今頃織姫もきっと。数少ない女性の、今では友人とも呼べる存在。今彼女が感じているであろう悲しみと孤独が理解出来るからこそ、ルキアは一刻も早く彼女を救い出したかったのだ。だが気持ちとは裏腹に身体は動かない。このままでは無様にも息絶える方が先だろう。
 唇を噛み締める少女の頬を一撫でし、女は言った。
「…貴女は1人では無い。勿論、貴女が助けたい彼女も。もう直ぐ白哉様が、いらっしゃるから」
「…兄様、が…?」
 肯定を示す頷きを返されると、急に視界が白くぶれ始めた。安堵故であろう。以前は厳しく冷たかった兄も、今は優しい。既にルキアにとって安心出来る存在へと変わっていた。
 女はただ穏やかに少女を見つめる。絡み合う視線。
 意識を失う最後の瞬間、ルキアは力を振り絞って女の白い手を握り締め、
「…姉…様……っ!」
 叫んだ。
 掠れた、悲鳴に近いそれは、だが女の耳に届いたのだろう。
「……ルキア」
 泣きたいのか、笑いたいのか女には判らなかった。愛しい妹の名を言の葉に乗せ、そっと伏せられた瞳の端から透明な雫が零れ落ちた。
 酷いお方。
 あれ程頼んだのに、私が姉だと明かしてしまったのですね。
 この場には居ない夫へと心の中で語り掛ける。だが、恨み言を言った所で心を満たす暖かさは誤魔化せない。
 ずっと後悔していた。あの日、幼いこの子を手放した自分の決断を。
 決して、許してなどもらえないと思っていた。
 姉と呼ばれる資格など無い。その気持ちは勿論今でも変わらない。
 だが、姉様、と。ルキアの叫びが耳に焼き付いている。
 嗚咽を堪えて妹の手を握り返し、微笑を浮かべる。
「ルキア…」
 きっと、目覚めた時自分と話をした事は夢として記憶されるのだろう。だがそれでも構わなかった。
「今度こそ、…貴女を護るからね」
 優しい声音で語り掛け、女は天を仰ぐ。目を閉じて吐息を吐き出すだけで、女の姿は緩やかに空気に溶けた。
 それと同時にカシャリ、と音を立てて袖白雪はその美しい姿を解いた。

烙ちゃんに頂いた小説に触発されて書きました。
緋真さんが袖白雪だったらネタです!