夢色






「おかえりなさいませ、白哉様」
「ただいま、緋真」
 使用人達を従えるようにして出迎えた緋真の姿を見ると、白哉は見慣れた者にしか分からない程度ではあるが表情を穏やかなものにする。一日の任務の疲れも妻の笑顔を見ると一瞬にして消え去るような気がした。緋真を妻にした時から彼女の笑顔が白哉にとって最大の癒やしとなっている。
 彼女も愛しい妹を見付け出して以来体調が随分良くなったらしい。最近では料理長に新たな料理を教わったり屋敷中の花を生けたりと白哉とルキアが任務に出ている間も忙しく過ごしているようだ。
 薔薇色の頬に浮かぶえくぼが愛らしく、柔らかな黒髪を一撫ですると緋真は恥ずかしいのかはにかんだ様な笑みを零すと目を伏せてしまった。
「ところで緋真。…ルキアはどうした」
 霊圧は確かに屋敷の中に感じるのに姿が見えない事に気付き、白哉が案じるような声色で問い掛ける。
 ルキアは緋真の実妹であり、同時に今は実質彼の妹でもある。ルキアを見付けると同時に、後ろ盾が無ければ今後何かと不便であろうと、朽木家に養子として迎え入れたいと白哉が申し出たのであった。ルキアも初めて知らされた家族の存在に戸惑い、貴族である白哉に畏怖を覚えるのか遠慮をする事が多かった。しかし少しずつこの環境に慣れて来ているのだろう。今では実の姉である緋真については言わずもがな、控えめながら白哉をも兄と慕っているようだ。そして彼よりも帰宅が早い日には必ず緋真と共に出迎えに来ていた。
「体調が優れないようなのです。海燕様が送り届けて下さいました」
 長い廊下を白哉に続くように進む緋真の言葉は落ち着いているものの、その表情は妹の身体を案じているのか冴えない。恐らく流行りの風邪であろう。冷静に白哉は判断するが、同時に彼の妻が妹については必要以上に過保護に、そして心配症になることを思い出す。
 その緋真の影響もあるのか、他から見ると彼自身も妻だけでなく相当義妹にも甘い。更に自覚が無いという最も性質の悪い家族思い、否、愛妻家兼シスコンだと護廷十三隊の中でまことしやかに囁かれているのである。勿論白哉の耳に入らない所で、という前提付きであるが。
「あの男には礼を言っておこう。…緋真」
 決して早くは無い速度で足を進めていた白哉が不意に足を止めた。それを受けて後ろを歩いていた緋真も立ち止まると何かと問うように緩く首を傾げる。
「案ずるな」
 不器用な男なのだ。一見すると無表情なその面には言うべき言葉を探すような思案気なものが見える。
 だからこそ、体調の悪いルキアとそれを案じる緋真と。双方を気に掛ける白哉の気持ちを窺う事が出来、緋真ははいと頷き柔らかに微笑んだ。







「ん……」
 いつの間にか眠っていたようだ。先程から気怠かった身体は横になっていた所為か益々重さが増し、混濁した泥のような意識が夢と現の判断を鈍らせる。乾いた熱を吐き出したと同時に額にひんやりとしたものが当てられ、ルキアは重たい瞼を持ち上げた。
「……兄様?」
 つい先程まで看病をしてくれていた姉の姿は無く、代わりに未だ働いている筈の兄を見付けて声に訝しげな色が混ざる。思いの外長く眠っていたのかもしれない。
「高いな」
 そのルキアの呟きを耳に入れ、白哉は軽くその柳眉を寄せ、額に当てていた手を離した。勿論彼としては義妹の体調を案じただけであったのだが、
「……申し訳ございません」
 彼女は違った捉え方をしたようだ。
 言葉数が少なく感情を表に出さない白哉と。
 白哉に対しては遠慮がちでなかなか思いを口に出さないルキアと。
 緋真に言わせてみれば、白哉もルキアも互いの事を考えているのは歴然とした事実なのに、何故こうも相手の感情を汲み取る事に関しては不器用なのか、という事らしいが。彼女の存在が無ければそれこそ何十年も互いの感情に気付けない兄妹だと緋真は良く笑う。
 緋真に言うのは容易い事もルキアに言うのは難しい。緋真に向けるのとは異なる愛情を抱きながら、それを表現出来ずに持て余す白哉の葛藤に恐らくルキアは気付いていない。
「謝罪は要らぬ」
 謝罪を一言で遮れば菫色の瞳は小さく揺れる。淋しげに伏せられたその色を視界に留め、散々内心戸惑った挙げ句白哉は柔らかな黒髪に手を伸ばした。サラリと指を滑る彼女の姉のものと良く似ていた。
「ゆっくり休め。…速やかに任務に戻れるように」
「まぁ、白哉様ったら仕事の鬼のような事を仰って」
 いつの間にか戻って来た緋真が鈴のような笑い声を零した。音を一切立てぬ完璧な貴族の足運びでルキアの髪から手を戻した夫の傍らへと腰を下ろした彼女は細い手を妹の首筋に当てる。一瞬心配そうな色を浮かべた瞳は直ぐに常の色を取り戻し、くしゃりと優しく彼女の髪を撫でた。
「白哉様は早く元気になるようにと仰いたいのよ、ルキア」
「……緋真」
「間違っておりますか?」
 たった一言の問い返しで白哉の口を封じた彼女は色々な意味でもしかしたら朽木家の中で最強なのではないかと従者達の間でまことしやかに囁かれている。いつの間にか不安の色が消えたルキアはそんな兄と姉の会話を聞いてクスクスと笑い声を上げた。
「白哉様、隣の間にお茶をご用意しております。帰宅したばかりでお疲れでしょう。暫しお休み下さいませ」
「そうしよう」
 未だ死覇装を身に纏ったままの白哉を気遣って緋真は話を切り替えた。傍に居ると何と言えば良いか躊躇い結局何も言えないままに時を無為に過ごす事が多いのだが、ルキアとしては居なくなってしまうのは淋しいようだ。引き止めるかのように口を開き何も言えなくなってしまった少女に彼は微かに表情を綻ばせる。
「ルキア」
「…兄様?」
「夕餉まで今暫し休むが良い」
 言外にまた後程食事の時にと匂わせて言葉を掛ければルキアの顔には華が開いたような明るさが浮かび、白哉もそれに安堵してその場を後にした。







「…緋真姉様」
「ん、どうしたの、ルキア?」
 すっかり熱を吸収して温かくなった布を水で冷やしていた緋真はその声で顔を上げた。共に過ごした期間よりも離れていた時間の方が長かった姉妹はゆっくりと、しかし確実に家族の絆を取り戻している。
「姉様は、今お幸せですか?」
「唐突な質問ね」
 冷やした布の水分を絞り、それを再び熱い額に乗せる。普段より仄かに朱に染まった頬を冷えた手で包み込むとルキアが冷たいと肩を竦めて笑った。妹が見付かるより前、病に伏せる事が多かった緋真に時折白哉がしていた行動でもある。
「不幸に見える?」
 同じ色の瞳を覗き込めば直ぐに首は左右に振られた。
「白哉様が居て、大事なルキアも見付かって。…これ以上を望んでは神様に叱られてしまうわ。ほら、もう少し休みなさい。まだ熱が高いのだから」
 眠りへと誘うように艶やかな黒髪に指を通していると、直ぐに瞼が重くなり始めたのか菫色は時を待つ事無く閉ざされた。
 早く元気になるように。願いを込めて未だあどけなさの残る――一度手放す前と変わらぬ――寝顔を暫く見つめてから、緋真もその部屋を後にした。

当サイトにおける緋真さん生存ルートの基盤はこんな感じみたいです。