「ごめんなさい」
ずっと赤子を抱き続けていた両腕が、抱くべき存在を失って驚く程軽い。
「ごめんなさい」
つい先程まで抱いていた生命は今は此処にない。置き去りにしてしまったから。
「…ごめんなさい」
あぁ、そんな事をすればどうなるか一番分かっていたのは自分自身だった筈なのに。
「……ごめんなさい」
ふらふらと向かうべき方向すら知らずにただ彼女は足を動かし続ける。何処に行くかなど知らない。いつの間にか履物が脱げ、痩せて枝のように細い足に血が滲み始めた。それすら気付かない様子で彼女は歩き続ける。一切の感情を顔に浮かべること無く、だがその唇は謝罪の言葉を紡ぎ続ける。後悔するのなら今直ぐ戻ればよい。しかし、今戻った所で自分の力では幼い妹を守りきれないことは分かっていた。自分の腕の中で妹が息を引き取るのを見られなかった。
不意に視界が開ける。いつの間にか葦の草叢を抜けて開けた丘に辿り着いていた。
その丘にただ一本佇む桜の木。満開に咲いたその花びらがひらりひらりと舞って緋真の身に降り注ぐ。夕暮れの暖かな陽射しが白い花びらを照らし、その花びらが柔らかな光を放つ。ただひたすらに優しいその光景。
優しさなど要らないのに。たった一人の肉親を、愛しい妹を捨てた自分を断罪して痛めつけてくれた方が楽だというのに。優しさを与えられるとますます胸が痛むのに。それなのに、何故この桜は優しく自分を包むのか。何故その枝をもって自分を痛めつけてくれないのか。あぁ、それともこれが罰だというのだろうか。
妹を抱いて桜の花を見上げた過去が胸に過ぎる。まだ明確な言葉を話せない妹は、だが、嬉しそうに笑いながらその小さな手を舞い落ちる花びらに向かって伸ばしていた。あの子が居ても居なくてもこの桜は同じ。
不意に彼女の白い頬に涙が伝った。
「ごめんなさい…っ、ルキア…!」
許しなど求めてはいない。
ただ、あの子の幸せだけを――…。
拍手…にしては暗いお話だったな、と。