消えない罪と止まない雨






 晴れ渡った空が気持ち良い。
 芝生に寝そべったまま空を見上げると燕が一羽風に乗って舞い上がっていた。青草の香りが鼻腔を擽る。身体を動かした後だからだろうか。額に浮かぶ汗を涼やかな風が拭い、その気温の差が火照った頬を冷やして心地良い。
「朽木ィ! お前はいつまでもゴロゴロゴロゴロと。休憩は長くねーぞ!?」
「は、はい! 申し訳ございません!」
 上から降って来た声に私は慌てて身体を起こす。そうだ、折角の休日に私などの為に時間を割いて修行に付き合って下さっているのに。こんな事では海燕殿にも都殿にも申し訳無い。それに白哉兄様にも。朽木の名に相応しくない私を引き取ってしまった事を後悔していらっしゃるのだろう。早く、少しでも早く兄様のご期待に添えるようにしなくては。そしてもっと強くなって浮竹隊長や海燕殿のお力になりたい。
 葉の付いた死覇装を手で払い、顔を上げるといつの間にか目の前にいらっしゃった海燕殿の姿が見える。いつも私を励ましてくれる陽向の笑顔。私は本当に彼に感謝しているのだ。恋次との別れ。流魂街育ちにも関わらず四大貴族の朽木家に名を連ねた事への誹謗中傷。流されるあらぬ噂。兄様の変わらぬ冷たいお態度。孤独と悲壮の中に居た私を救ってくれたのは海燕殿なのだ。だからそのご恩に報いたい。
 私は海燕殿をお慕いしているのだと思う。恋慕の情ではなく、尊敬と憧憬の意で。







「そんな風に慕っている俺を殺したのは、何処の誰だったかなァ?」







「……え?」
 気付けば辺りが暗くなっていた。緑と光の溢れる丘ではない。
 暗く昏く、身体すら蝕まれそうな重たい闇。そして私の前に立ちはだかる海燕殿のお姿。…本当に海燕殿であろうか? 身に纏う雰囲気はいつものそれではない。その瞳は辺りを包み込む闇と同じように暗く重く。そもそも今、私が口に出していない筈の言葉に答えたではないか。そんな事、現実ならば有り得ない。
 これは夢だ。
 ゆっくりと歩み寄る海燕殿から逃げるように数歩後退りながら自分に言い聞かせる。そう、意識では分かっているのだ。しかし速まる鼓動は止まらない。背に冷たい汗が伝い落ちた。
「あの日、お前は俺を殺した。間違ってねーよな」
 止めろ。海燕殿はそのような事を仰る方では無かった。
「過去形か。皆大好き海燕副隊長の事を…そしておめーが俺にした事を、もうすっかり忘れちまったか?」
「海燕殿――…」
 明るい口調の筈なのに声音は酷く冷たい。更に一歩後退ろうとした所で身体が凍り付いたように動かなくなった事に気付く。そしていつの間にか自分の手に握られている斬魂刀の存在にも。そう、あの時と同じように。
「覚えていないなら……思い出させてやるまでだ」
「い……」
 ゆっくりと。海燕殿は前へ前へと進む。私の握る斬魂刀など見えていないかのように。憎しみに彩られた瞳が私の眼から逸らされる事は無い。
 刀を握る人間に真っ直ぐ近付けば訪れる結末はただ一つ。私の予想通りに斬魂刀が彼の身体に触れるが、それでも歩みは止まらない。
「いや……」
 鮮明に人の身体を切り裂く感触が手に伝わり私は叫び声を上げた。夢だ。確かにこれは夢なのだ。それならば早く覚めろ。早く早く早く…!
 流れる赤黒い血が掌を染めていく。目の前の海燕殿が笑った。いつもの、あの陽だまりのように優しい笑顔で。
「一生、この罪から逃れられると思うなよ?朽木」







「イヤァァァァッ!!」
 自分の悲鳴で目が覚める。荒い呼吸。背中に伝う冷たい汗。
「ルキア様? どうなさいましたか」
 控えていた家臣の一人が声を掛けて来た。障子の向こうにある影が揺れるのが見えて、それで漸く夢だったのだと確信する事が出来た。
「…平気だ。少し魘されただけだから…」
 いつもの悪夢。繰り返されるあの夜の光景。
 耳を澄ませば雨音が聞こえた。重たい空気の中を軽やかに踊る水滴。悪夢を見るのは決まって雨が降っている夜だ。自ら意識をせずとも反射的に思い出しているのだろう。悪夢を見始めた頃は夢と現の区別すら付かなくなって取り乱して、兄様のお手を煩わせてしまった事もあった。今では精々悲鳴を上げて起きる程度だ。
 …――これが、慣れてしまうという事なのだろうか。海燕殿をこの手で殺したという事実を、次第に忘れてしまう事に繋がるのだろうか。
 兄の遺体を見て泣き叫んでいた子供の姿が脳裏に過ぎる。妹弟が居るのだと楽しそうに話していた。きっと今も兄が生きていたらと思いながら生活しているのだろう。私が忘れなかったからといって彼らが許してくれるとは思わない。また、私が忘れない事で彼らが安らぐとも思わない。
「……罪を忘れないで、永遠に背負うのが私の咎」
 そっと口に出して未だ震えの止まらない身体を両腕で抱き締める。涙が溢れて止まらなかった。

 ――そして雨も未だ降り止まぬまま。

アンケートの海ルキリクエストにお答えした六月拍手でした。
………海ルキ?