私の結婚はあと数日に迫っています。
最後の準備をする為に私は、婚約者であり数日後には夫となる白哉様の城に滞在しております。
白哉様はこの国を治める王様です。ですが、髭の生えたお爺様を想像してはいけません。
先代の国王が早くに亡くなられたので、白哉様は歴代の王様と比べてかなりお若いうちに即位なさいました。
初めは若い国王に国民は不安を抱いたそうです。しかし今では、今までの国王の中で三本の指に入る程有能で優れた王なのではないかと言われています。
そのような方の妻となる私は何者か、ですか? 私は白哉様のお国の隣国の王女です。この結婚は私にとっても身に余る幸福なのです。政略結婚、という訳ではないのですよ。
……私達が出会った経緯はまた何れお話出来たらと。一先ずお話を元に戻しましょう。
私が今滞在しているこの城は、普段は白哉様が身に纏う雰囲気に似た静謐な空気を抱いています。静かなのに冷たさを感じる事は無くて。私はこの爽やかな冬の朝に似た空気が好きなのです。
ですが、今朝は何だか騒がしいのです。普段ならばどんなに忙しい日も常の空気は少しも揺るがないのに。
不思議に思い、私は読んでいた本を閉じて部屋を出ました。
「恋次さん」
扉を開くと同時に良く知っている紅の髪の男性を見つけて、私は直ぐに声を掛けました。彼は白哉様の側近の一人です。ですから自然と私も顔を合わせる事が多いのです。
「何かあったのですか?」
「いや、特に何も無いんスけど……」
いつもなら恋次さんの顔を見れば真っ直ぐな瞳と出会うのですが、何か後ろめたい事があるのでしょうか。言葉を濁して視線を逸らされれば誰でも言いたくない事があるという事に気付くものです。
これでも人の気持ちを汲む事に関しては比較的鋭い方なのです。
とはいえ、今の恋次さんの様子を見れば誰でも私と同じような感想を抱くと思いますが。
「白哉様に口止めをされているの?」
「それは違うんですが……」
何とも歯切れの悪いお返事です。私よりずっと背は高いけれど、恋次さんも年下の男の子です。問い詰めて困った顔を見てみたい気もしますが、可哀想なので止めておきます。
「何事も無いのね?」
「少なくとも王には何事も」
政に関与出来る程の知識は未だ持っていませんし、例え持っていたとしても国王である白哉様を差し置いて私が出しゃばる問題ではありません。
白哉様のお傍で白哉様をお支えすること。
それが私のするべき事なのです。ですから、白哉様がご無事なら今は引き下がるべきなのでしょう。
「ありがとう、恋次さん」
それならば部屋に戻ろうと踵を返した所でした。
「緋真」
広い廊下を私の名を呼ぶ声が響きました。お顔を見ずとも分かります。…そもそも、この城で私を呼び捨てする者などこの方を除いていらっしゃらないのですが。
「白哉様、おかえりなさ――…」
私が途中で言葉を止めたのには訳がありました。
いつも皺も染みも無い真っ白な衣服は砂で汚れていました。そして、いつもは身に纏われているマントは背に無く、白哉様の腕に抱かれた少女を包むのに使われています。
「その子は……」
力無く落とされた腕は陽に当たった事が無いのではないかと思う程白く、布の間からだらりと垂れた脚も驚く程に華奢です。作り物の人形だと、人ではないと言われた方が納得出来る程に。
「浜辺に倒れていた」
恐らく盗人に襲われたのでしょう。そっと覗き込んでみると首筋に幾筋か刃物で傷付けられたような痕が見えました。
「白哉様、早く医師に。私はその子が着られそうな服を探してみます」
意識が無く、時折苦しそうに息をしているこの子を早く医師に見せなくては。あまりのんびりとお話をしていたら身体に負担を掛けてしまいます。
白哉様は一つ頷くと直ぐに医師の待つ部屋の方へ向かわれました。
後に残ったのは最初と同じ、恋次さんと私の二人だけ。
「恋次さん」
「?何スか?」
大柄な身体とざっくばらんとした振る舞い、乱雑な口調とは裏腹に彼がとても周りに気を遣うのが上手だという事は私は良く知っています。さっきもそう。でも、
「私は白哉様が女の子を拾って来たからといって見苦しい嫉妬をするような女ではないわ」
勘違いは正しておかないと。
私の言いたい事を理解したのか、少し照れくさそうに笑った恋次さんに笑い返して、さっきの子の服を準備すべく私はその場を後にしました。