ツキミソウ

「アンバー、俺は…」
 彼が何を言おうとしたのか直ぐに検討がついた。彼は優しい人だから。それが本心であれ、偽りであれ、彼女が望む言葉を選ぼうとした筈だ。
 だからこそ黒《ヘイ》が紡ごうとした言葉を、アンバーはその唇を塞ぐ事で遮った。
 時を止めた時に奪った彼の唇とは違う、温もりの伴う口付け。背に回された腕が、抱き締める彼の身体が、重なる唇が…全てがずっと望んでいた筈のものなのに、喪失は目の前に迫っている。
「…それ以上、聞きたくない」
 最初から知っていた。自分が消えてしまうその未来を。
 判っていても…、その体温を離したくなかった。
 本当は叫びたかった。一人にしないで。私を置いていかないで。
 衝動を必死に抑え込み、差し伸べられた白《パイ》の手を握り、黒《ヘイ》の身体から身を離す。最期くらい素直な態度を取ってみたいという思いも一瞬胸に過ぎったが、一言口に出したらもう歯止めが利かない気がした。
 ただ真っ直ぐに黒い瞳を見つめる。
「さよなら、…アンバー」
 別れの言葉を最後に…――時は動き出す。

「…本当に不器用なんだから、アンバーは」
 黒《ヘイ》の姿が視界から消えた途端泣き崩れた女性を抱き締め背を撫でながら白《パイ》は囁くように耳元で呟いた。南米時代、兄に最も近い存在であり、そして彼女自身にとっても『組織』に対抗する為の仲間であった彼女。出来れば兄と幸せになってほしい。そう思いながらも白《パイ》は一度もそれを口にした事は無かった。…いや、出来なかったのかもしれない。
「お兄ちゃんと二人で生きる未来はなかったの?」
「…黒《ヘイ》が生き残って、笑える未来はこれしかなかった。私が求めていたのは彼が笑える未来。本当はね、少しだけ期待してたんだ。幼くなっても黒《ヘイ》の傍にあり続けられる未来があるんじゃないかって。でも神様って残酷。黒《ヘイ》の幸せの為には最後の対価を使うしかなかった…」
 頬を濡らす涙を袖口でぐいと拭い、自分を抱き締めていてくれる少女の胸元に顔を埋める。今はただこうして傍らに居てくれる白《パイ》の体温が嬉しかった。
「…どうして、お兄ちゃんの為に其処まで出来たの?」
「黒《ヘイ》の事が好きだから。…としか言えないかな。もっと格好良い理由があっても良さそうなんだけどさ、…本当にそれだけなの」
 自分の命まで捧げちゃうなんて、ある意味愚の骨頂かな。顔を上げ自分の事の筈なのに可笑しそうに笑うアンバーの様子に白《パイ》は疑問を禁じ得なかった。
「…そんなのって、判らない。だって、――」
 尋ねようとした言葉は白い指先を唇にあてがわれて封じられてしまった。いつの間にか、見上げた琥珀色の瞳から涙は消えていた。優しい微笑が唇に刻まれて、伸ばされた指が白《パイ》の頬を撫でる。
「銀《イン》にね、頼んだの。あの人の傍に居てあげてねって。私の代わりに黒《ヘイ》の笑顔を守ってあげてね、って。銀《イン》ならきっとそうしてくれる。…私はそう信じているから…」
 生きる者の行動を知る術などない。だが、きっと銀《イン》は黒《ヘイ》の傍に居る選択をしてくれただろうとアンバーは信じていた。光を宿さぬ紫水晶の瞳は、確かに自分の話を聞いて信じてくれた。
 黒《ヘイ》は隣りには居ない。だが今彼の傍らに居る少女《イン》の存在が彼を慰め、もし彼が笑ってくれるのなら…アンバーはそれで幸せだった。
「アンバー…」
 白《パイ》の瞳が吸い込まれそうな夜空へと移される。かつて兄と二人で見て願いを捧げたあの空と同じ星空。白《パイ》自身が《契約者》になった後も何かを願うように兄が見つめ続けていた偽りの星空の向こうにあったもの。青い瞳から一筋涙が零れ落ちた。
「そう、これが黒《ヘイ》が望んだ未来。それなら私も幸せなんだ。彼の傍に居られなくても構わない。ただ、Evening Prim Rose…ツキミソウのように、朝が来たら枯れる花でありたいと、私はずっと思ってた」

Darker than Blackより
最終回を見終わった勢いで書いた作品でした。
アンバーがC.C.にそっくりだ!という事だけで見始めたけれど、凄く良い話だったなぁ。