黒の舞踏

 〈泡禍〉が引き起こした惨劇の処理に追われ、帰宅したのは真夜中だった。自室から出て来た叔母から掛けられる声におざなりな返事を返し、階段を登り自室に足を踏み入れる。そして電気のスイッチを押し…其処まではいつも通りだった。だが、
「…――っ!?姉さん…どうして…」
 チカチカと幾度か瞬いた後白い電気が着くと…白いシーツの敷かれたベッドに腰掛ける、漆黒を基調としたゴシックロリータの衣装を纏った少女が雪乃の視界に映った。…そう、彼女こそが雪乃の亡くなった実姉の風乃である。
 今は雪乃の〈断章〉としてしか存在しない筈の風乃が何故今はこうして実体化しているのか。困惑した表情を浮かべる雪乃に向けて風乃は艶やかな微笑を返す。
『お帰りなさい、可愛い雪乃。…ふふ、色々訊きたそうな顔をしているわね』
「…随分ご機嫌ね、姉さん。実体化が可能な理由を答えて、さっさと消えて頂戴」
 あくまで雪乃は眉間に寄せた皺を崩さない。そっくりな美貌。だが二人が纏う雰囲気には圧倒的な差異があった。
 淡く色付いた唇の端を持ち上げ、微かに風乃は目を細める。音も無く立ち上がるとレースをふんだんにあしらった黒いスカートが静かな衣擦れの音と共に広がり。
『機嫌が良いに決まっているでしょう?』
 一歩。二歩。其れ程広くない部屋で触れ合える距離になるまでに要する時間は短かった。
 持ち上げられた風乃の細く白い指先が、雪乃の透き通るまでの白い頬を撫でる。指のあまりの冷たさに背筋に凍るような悪寒が走った。
『…こうして、姉妹水入らずで過ごす事が出来て…その上触れ合えるんだもの。今日は〈アリス〉の邪魔も無いわ』
「…そんな時間、必要無い」
 きっぱりと切り捨てるような答えを返し、頬に触れる冷たい手を払い退ける。風乃の長い睫毛が伏せられ、さも残念そうな溜息が唇から零れる。
『…残念だわ。小さい頃は一緒に眠ったのに…冷たいのね、雪乃』
「今と昔は違うわ。…私が、父さんと母さんを殺した姉さんを慕う訳が無い。〈断章〉での関わりが無かったら口も訊きたくない」
 雪乃の淡く澄んだ琥珀の瞳に浮かぶ色には憎悪が入り混じっていた。それでも怯む事無く…寧ろ喜ぶかのように、風乃は微笑む。
『何の感情も向けられないより、憎まれた方がずっと幸せ。それに愛より憎悪の方が綺麗だわ。ずっと純粋な感情だもの』
 ふわりと。フリルをあしらった黒いスカートが踊り、ベッドに腰掛けた白い両脚を再度隠す。妹の雪乃から見ても、確かに昔から風乃は風に愛された娘だったと思う。彼女の一挙一動が風の舞いであるかのように優雅だと。
 ふと其処で雪乃は自分の思考がずれている事に気付く。
「それで。私に憎まれているのを喜ぶ姉さんは何故実体化していられるの?」
『月が綺麗なのよ、今夜は』
 言葉を返しながら徐に風乃は黒いカーテンを開いた。銀色の月が窓枠の舞台に立つ主役であるかのように圧倒的な存在感を放っていた。純粋な銀色の光が室内に広がり、雪乃は微かに目を細める。確かに――認めがたくはあったが――その光景は美しかった。
『だから、可愛い私の雪乃…今夜位は貴女の時間を私にくれない?』
 月には不思議な力があると言われる。きっと自分は満月の美しさに囚われてしまったのだ、と心の中で呟き、雪乃はベッドに座る姉の傍らに腰を下ろす。湧き起こった感情を誤魔化すように黒髪を手で払い退け、
「…〈あげるわ〉」
 風乃の力を解放する詠唱の言葉に、今夜は少し忘れていた素直さを込めて。憮然とした態度を崩さない妹の姿に、風乃は普段とは違う優しい微笑を浮かべた。

ライトノベル、断章のグリムです。
この姉妹、結構好きなんですよね。