「…――っ!?」
深夜の黒曜ランド。仲良く並んでいた寝袋の一方が勢い良く起き上がった。続いてもう一方の寝袋ももぞもぞと動き出す。
「柿ピー、お前も…」
「…あぁ、見た」
廃墟となった建物の窓であった部分から覗く空は未だ夜の気配を残している。深刻な表情で見つめ合う二人。その原因となるのは二人が見た『夢』に起因するのだろう。
「……言われた通りにするしかない。メンドイけど」
「明日起きたら考えれば良いって!あの女なんかどーれも良いんらからさっ!」
寝るっ!と大きく叫んで眠りに落ちようとした犬が再び悲鳴を上げて目を覚ますまでに半刻も掛からず。渋々、といった具合に彼らは二人揃って朝を告げる鳥がさえずる中出掛けて行ったのだ。
特に用事も無かった為、この日のクロームはすっかり日が昇った頃に目を覚ました。廃墟であるこの黒曜ランドの朝はとても気持ち良い。(窓が無いから)窓を開ける必要も無く朝の気持ち良い(冬は寒い)風が部屋を吹き抜けていくのだ。そんな冷え切った部屋で毛布一枚。良くグッスリと眠れたものだと感心しつつ、ゆっくりと彼女は身体を起こす。古いソファーがギシギシ危ない音を立てるがそんな事は気にしない。昔に比べて随分神経が図太くなったとぼんやり考えながら手早く着替えを済ませて、埃とガラスの破片の積もった廊下を進み、同居人達が眠っている筈の部屋へ。が、
「……………居ない」
部屋には空っぽの寝袋が二つ。触れてみるが彼らの体温は残っておらず、大分前にこの場を立ち去った事が予測出来た。置いて行かれるのはいつもの事だ。だから大抵はそんな二人を探して歩くのだが、今日はそれをする理由も無かった。幸い『彼』からの連絡も無い。突然意識を通じてクフフフーと笑い始める『彼』からの交信もすっかり慣れたものになっていた。
「…散歩に、行こうかな」
麦チョコで栄養を摂る生活をする彼女にとって、不要なカロリーの消費は避けたいものだったが、何となく室内に居座りたくない気分だった。好物である麦チョコばかり与えて来る犬の行動が優しさなのか、嫌がらせなのかは判断しかねたが、麦チョコは主食ではなくおやつだといつかは主張したいと思う今日この頃。普段は貶すクセにいざという時には手を差し伸べる彼らが、骸からの命令という事を差し置いても嫌いにはなれなかった。部屋に戻り麦チョコが詰まった袋をポケットに詰め込んでから、彼女は黒曜ランドを後にした。
「今日という日が無ければね、私はもっと幸せになれていたのよ」
夕食の席で顔を伏せた母親がそう呟いた。少女…凪は一体母が何を言い出すのか理解が出来ず、キョトンとした表情で彼女を見つめる。先程まで母の傍らにあった、数ヶ月前から家族になった『お父さん』は仕事の電話の為に今は席を外していた。
「…お母さん…?」
「知ってる、凪?あの人と別れたのは全て貴女の所為なの」
母親は顔を上げようとはしない。席を立って部屋に戻りたい。そう思っても、凪の身体は凍り付いたように動かなかった。
「学校の先生が、貴女が学校で友達を作らないで孤立していると電話して下さった時、あの人が何て言ったと思う?」
「………」
「お前の教育が悪いんだ。…そう言ったの。許せないと思ったわ。でも、そもそも…凪、貴女を産んだのが間違いだったのよね」
あくまでも母親の口調は淡々としている。自分の言葉で揺れる少女の心に気付く事無く。薄々そんな母の気持ちに感づいていた分ショックは少なかったが、何か言葉を発する事は出来なかった。
ケーキもプレゼントも無い誕生日が当たり前になったのはいつからだったか。だが全てを捨てて家を飛び出すには少女はあまりに幼すぎた。
「……お母さん、私、部屋に戻るね」
辛うじてそれだけを掠れた声で告げ、その場を立ち去る。
誰からも必要とされない孤独に完全に突き落とされたのは、その日だったのかもしれない。
「…嫌な事、思い出しちゃったな…」
土手に座り込み子供達が泥だらけになりながら駆け回る野球場を麦チョコ片手に見つめていると、息子を必死に応援する母親達の姿も否応無しに視界に入る。その光景に加え、今日が12月5日…自らの誕生日であり、あの忌まわしい記憶の日でもある事に気付き。あの日の母親が記憶に過ぎり、思わず少女は眉を顰めた。
一体、子供を懸命に応援する母親達と自分の母親の違いは何なのだろうか。何があの人を変えてしまったのか。やはり自らの存在がいけないのか…。体育座りの体勢のまま膝に顔を埋めると、子供達の歓声が耳に良く届いた。
「あれ、クローム?」
不意に歓声に混じって自分に向けられた声が耳に入った。慌てて思考を中断し、顔を上げ…
「……ボス…」
ボンゴレのボス、沢田綱吉の姿が其処にあった。その傍らには母親である沢田奈々が。買い物帰りだろうか、手には食材やら何やらが詰まった袋が下げられていた。暫し落ちる沈黙。しかし言葉を選ぶかのように彷徨わされた少年の瞳が再びクロームのそれを捉えるまで、長くは掛からなかった。
「あのさ、…後で来てくれないかな。オレの家に」
意外な申し出だった。三叉槍を抱き締めて、漸く頷きを返すまでたっぷり30秒は掛かっていただろう。短気な相手(例えば犬とか)であれば怒り出しても良い筈だったが、この少年はそういった感情を滅多に表には出さない。その穏和さこそが、彼がボンゴレのボスとして人を惹きつける理由なのだろう。
「良かった。…あ、地図渡しておくね」
現在居る場所から彼の家までは案外近いようだった。
「最近ツナの友達が増えてお母さん嬉しいのっ!クロームちゃんっていうの?いつもありがとう。来てくれるのを待っているわね!」
ほぼ初対面にも関わらず頭をわしゃわしゃと撫でられ、反応に困りながらも何とかぺこりとお辞儀を返すと、彼女も笑顔を返してくれた。成る程、沢田綱吉の穏和さというかマイペースさは母親譲りなのだろう。
手を振って去って行く二人を見送るクロームの心は、先程とは異なる優しい暖かさに満たされていた。
沢田母子と分かれてから数時間が過ぎ、おやつの時間が過ぎた頃、漸く少女は沢田家に向かっていた。玄関の前で立ち止まり、室内から聞こえる悲鳴と奇声と笑い声に暫くたじろいでからやっとチャイムを押す。
ピンポーン。
バタバタと中から足音が聞こえ、勢い良く扉が内側から開かれる。(危うく扉と激突して大惨事になる所だった。)中から顔を出したのは顔は知っているが話した事はない二人の少女。
「いらっしゃい!」
「ハル、ツナさんが新しい女の子を連れて来るって聞いてからずっと待ってたんですよ!」
「クロームちゃん、っていうんだっけ?」
「お名前聞いた時はどんな子かと思ってましたけど、とってもキュートです!」
右手に京子、左手にハル、と掴まれてしまっては身動きは取れず。
一体どの言葉にどのように答えたら良いのかすっかり判らなくなりながらも、先程のツナの優しい笑顔のように、決して拒絶したいものではなかった。
廊下を真っ直ぐに突き進んだ先にあるのはどうやらリビングらしい。其方へと引っ張って行かれ、
「レディース・アンド・ジェントルマーン!クロームちゃんの到着です!」
ハルの上手いとはいえない英語に続いて開けられた扉。
いつか、幼い日に夢に描いた風景が其処にあった。綺麗に飾り付けが成された部屋。その部屋の中央のテーブルに置かれた大きなケーキ。並べられた美味しそうな食事。そして、『仲間』の姿。
「あのさ…クローム」
ツナがおずおずと進み出る。決してクロームは背が高い方では無いが、彼とは殆ど背が変わらない。未だ状況を完全には飲み込めていない少女の手を取り、彼は明るい笑顔を見せる。
「今朝、あの2人に今日が誕生日だって聞いたからゆっくり準備が出来なかったんだけど」
「俺ららって朝方まで知らなかったんらびょん!」
「あー、もうちょっと黙っててよ!うん…それで、でも少しでも楽しんでくれたら嬉しいなって。…誕生日、おめでとう」
長年抱えていたあの日の母の言葉の呪縛は、こんなにも容易く解けるものだったのだ。嬉しさを隠す事無く、初めて彼女は心からの笑顔を見せた。
『それで…誕生日会は楽しかったのですか、クローム?』
柔らかな土と草の感触を裸足になって楽しみながら少年と少女が歩く。
「…はい、骸様」
彼女は多くを語らない。しかしその一言と普段よりも柔らかい彼女の表情が、楽しかったという事実を明白に表しているような気がした。
ふと、彼が立ち止まり彼女と向き合う体勢になる。優しく頬に添えられる、自分のそれよりも大きな暖かい手のひら。瞬時視線が絡み合い、骸の表情に柔らかなものが浮かぶ。
『誕生日おめでとうございます、クローム。…お前が今日の日に生まれてくれて、本当に良かった』
熱いものが込み上げ、返したかった言葉は声にはならなかった。微笑と共に透明な涙が白い頬に伝い、掠れた声がありがとうございます、と言葉を紡ぐ。そっとその華奢な身体を抱き締める事で骸はそれに応えた。
クローム生誕記念として書いた作品でした。