甘くて苦い独占欲

 アズベルグ地方の更に北の辺境に、この地方の領主、カシュヴァーン・ライセンの館が在る。
 暗い森に囲まれた、良く言えば長い歴史を感じさせる…悪く言えば古ぼけた不気味な――実際かつては『ハルバーストの薔薇屋敷』と呼ばれていた――館では、外観からは想像出来ないような騒がしい光景が繰り広げられていた。
「私は絶対に、ぜっったいに、認めませんわよ!!」
 ゴタゴタとした装飾で飾り付けられたアンティーク調のテーブルにバンッと手を付き大声を上げるノーラ。その動作と共に緩やかなウェーブを描く赤い髪と豊満な胸が大きく揺れる。
「ノーラ、そんな大きい声を出して顰めっ面をしてると皺が増え…ぅおっと!」
 引き締まった身体の華奢な少年――ルアークが茶化すように声を掛けるが、
「お黙りなさい!」
 再び上げられた声と共に椅子の上に置かれていたクッションが空気を裂き、軽く屈んだルアークのサラサラとした銀髪を掠めて床に落ちる。
「まぁ、ノーラ。枕投げをするなら私も入れて頂戴。でも枕投げじゃ一般的過ぎるわね。骸骨の頭部とか…」
 まぁ素敵。まるで甘いケーキを口にしたかのようにうっとりとした表情で両頬に手を添えるのがこの館の女主人、アリシア・ライセンである。一人目の夫を結婚式中に失ったという噂に尾鰭が付いた結果、死神姫とも呼ばれている。…その呼び名が似合うのは彼女の趣味だけであるのを知る人間は多くはない。
「そんなものを投げてぶつかったら痛いですよー。はい、アリシア様、ちょっと下を向いて下さいねー」
 アリシアの柔らかな亜麻色の髪を纏めながらややおっとりとした口調で言葉を紡ぐのは、最近この館で暮らし始めた自称お抱え絵師のリュクである。手先が器用な芸術肌の彼は近頃アリシアの髪の手入れに凝っているようだ。髪を飾る装飾品まで手作りなものだから、やはり彼も芸術家なのだと感じさせる。
「確かにそうね。それなら――…」
「奥様。枕投げは致しませんわ。ですから変な妄想から抜け出して下さいませ!」
 尚も枕投げならぬ骸骨頭部投げの類似品を考えようとするアリシアの思考をノーラが止めるのと同時にリュクが彼女の髪を結う作業を終えた。
 顔を上げた彼の瞳がノーラのそれに留まる。そして二人の間に散る火花。
「奥様にはこの柔らかい色合いのドレスが似合いますわ! そのぺったんこの体型をカバーするのにもピッタリですもの」
「確かにノーラの言い分は一理あるよ。でも今回はライセン様と出席するパーティーだし、たまにはこのドレスで大人の色気を――…」
「この洗濯板奥様の何処に色気があると仰いますの!?」
 約一ヶ月後にとある貴族の屋敷で開催されるパーティーがある。そのパーティーにライセン夫妻も是非、と招待され、カシュヴァーンはアリシアのドレスをいつも通りノーラに任せようとした。しかし、其処で口を挟んだのがリュクだった訳である。
 ノーラは柔らかなクリーム色を基調とした布地のドレスに桜色のリボンを腰で結び、胸元に愛らしい小花のコサージュを飾ったものを用意した。アリシアの幼さを可愛らしさとして全面に出すには確かにピッタリだし、勿論彼女にもとても良く似合う。
 一方のリュクは黒を基調としたドレスを用意した。ハイネックの長袖で踝丈のドレス…といえば露出の少ないものを想像するだろう。しかし、勿論胸元から下は肌を出さぬよう黒いインナーを纏っているものの、チョーカーの巻かれた首から胸までと肩から両肘までの部分は花柄のレース地なのである。ふんわりとしたスカートと肘から手首までの柔らかな生地が愛らしさを残しているが、基本的にセクシーなデザインだ。実際、普段結われている髪をハーフアップにしてこのドレスをアリシアに着せた所、<強>公爵殿は動揺を露わにトレイスにティッシュを求め、暫くの間鼻を抑えっぱなしだった。
 しかし其処でノーラが主張をした訳だ。洗濯板体型の奥様ではこのドレスを着こなせませんわ、と。
 それ以来二人の間に冷戦が勃発しているのである。
「まぁ。二人とも仲良くしないと…」
 しかし、一方のアリシアは自分のドレスが火種だとは全く気付いていないのである。
 これでは永久にこの問題が収まらない。一つ溜息を付いて先程ノーラに投げられたクッションを片手にルアークが口を挟む。
「こういう時こそ、カシュヴァーンお兄ちゃんに判断を求めるべきなんじゃないの? ほら、アリシアを連れて歩く張本人なんだし」
「「…………」」
「あれ? もしかして…その考えに至ったのって俺だけだったり?」
「そ、そんな訳ありませんわ! ねぇ、リュク?」
「そ、そうだよ!」
 明らかに焦ったようにまくしたてる二人を見てルアークは呆れの色を浮かべる。手が掛かるというか何というか。小さく溜息を零しながら見つめてくるエメラルドの瞳から逃れるように、二人は目を逸らせた。



「で?」
「カシュヴァーンお兄ちゃんとしては清純乙女なアリシアと、幼さとセクシーさが共存したアリシア、どっちがお好みかなぁって」
 深夜、帰宅した館の主の寝室に、カシュヴァーン、ルアーク、そしてアリシアの三人の姿があった。
「何を聞きたい、ルアーク?」
「だーかーらー、お兄ちゃんの好みのアリシアだって。あ、もしかして…」
 思い切り眉間に皺を寄せる――見る者に寄っては裸足で逃げ出しているであろう――カシュヴァーンに臆する事無く、好奇心で緑の瞳を輝かせるルアークは殊更ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「どんなアリシアでもアリシアである限りカシュヴァーンお兄ちゃんの愛は変わらないって?」
「ルアーク。論点は分かったから…とりあえず出て行ってもらおうか」
「ちぇーっ、からかい甲斐が無いんだよねー、お兄ちゃんは」
 もう少しこの場で見ていたいという気持ちの表れ故か非常に恨みがましいルアークの視線を黙殺し、ただ扉を指すカシュヴァーンの様子にとうとう諦めたのか、ルアークは其方へと歩みを進める。勿論覗きは禁止だからな、という念押しに了承の意も少しは込められているのかヒラリと手を振り、ルアークの姿は二人の視界から消えていた。
 完全に彼の気配が消えたのを確認した上で自分の正面に客人用の椅子を置き、カシュヴァーンは立ち尽くしていた愛しの妻に向き合う。
「とりあえず、其処に座れ」
「あ、…はい」
 勿論アリシアの意識はドレス問題には無く、壁に掛けられたカシュヴァーンのマントを首の無い黒馬の騎士が纏うという妄想にあったのだが。我に返った彼女は言われるがままに椅子に腰掛け…思いの外近い漆黒の瞳にいつもの『お腹の痛い』ような感覚にとらわれる。
「アリシア。…これは贅沢の中には入らないからな」
 先日彼女が言った言い訳――否、自分への戒めと言うべきであろうか――を使わせぬよう予め念を押してから、男は言葉を紡ぎ始める。
「ノーラのドレスもリュクのそれも、それぞれお前の魅力を引き出していて俺は気に入っている。…だから、お前が好きな方を選べば良いと思う」
 たまには着るものに興味を持つ事もあるだろう、と、これはカシュヴァーンなりにアリシアに気を使った結果の発言なのだが。何しろ至近距離で見つめてくる漆黒の瞳に高鳴る鼓動を病気だろうかと本気で心配しているこの奥様の耳には届かない訳で。頬を熟した林檎のように真っ赤に染めて、カシュヴァーンの顔と話の対象になっている二着のドレスを交互に見る事しか出来ないのであった。
「か、か、カシュヴァーン様は…」
「俺か?そうだな…」
 やっと絞り出した言葉で男の視線がドレスに向くと漸くアリシアは緊張のし過ぎで上手く出来なかった呼吸を再開させる事に成功する。
 暫く真面目な顔で双方のドレスを見比べていたカシュヴァーンだが、アリシアが落ち着いたのを見計らって亜麻色の髪をくしゃりと撫でた。
「どっちもアリシアには似合うだろうし、俺は両方好きだ。だがな――…」
 不意に。アリシアの視界が黒一色になる。
「リュクのドレスを着るのは俺と二人きりの時だけで良い。…お前のあんな魅力を知るのは俺だけで良いんだ」
 抱き締められている事に気付いたのは耳元で低く囁かれた後で。独占欲だな。カシュヴァーンの呟きを耳に入れ、緑色の瞳が真っ直ぐと漆黒を見上げる。
「独占欲って」
「ん?」
「……甘いものなのですね」
 ややずれてはいるものの、普段と比べれば随分と的を得たアリシアの言葉に男は優しく笑みを浮かべた。



 結局ノーラのドレスを選ぶ事となり、一件落着となったのだが、ルアークの『独占欲の強いカシュヴァーンお兄ちゃんなら、お兄ちゃんカラーの黒いドレスをアリシアに着せると思ってたよ』という言葉がカシュヴァーンを後悔させたのはまた別の話である。



FIN.

お友達に借りた「死神姫の再婚」の二次創作です。
知っている方いらっしゃるかな…!?
ドタバタなラブストーリーです。読んでいて恥ずかしいけど、たまにはこういうのも好きですよ。