オリジナルの「雪の綺想曲」より。少々残酷描写的な物があるので、苦手な方はご注意下さい。





「人って何故生きているのだと思う?」
 深夜に呼び出されて手渡された資料に目を通していた蒼《ソウ》の意識を逸らさせたのは、先程まで大人しくCDから流れる優しい音に耳を傾けていた祈咲《キサキ》の言葉だった。その言葉は鈴のような声音と彼女の外見にはあまりにも似合わず、思わず彼は資料から目を離して視線を少女に向ける。大きな肘掛け椅子にちょこんと腰掛け、退屈を紛らわす為か、長い白金の髪に幾つもの三つ編みを作り続けている少女が先程の問いを発したとはとても思えなかった。
「聞いているの? 作業を止めておいて答えない気?」
 目の見えない彼女は人一倍気配に対する反応が鋭い。外見に似合わぬ口の達者さも手伝って、本当は見えているのではないかと疑ったのは二度や三度の話ではない。何度か試してみたものの、今の所彼女に視力が戻ったという確証は得られていない。苦笑にも似た表情を浮かべ、蒼は漸く回転椅子を回して彼女と向き合った。
「ごめん。で、質問は?」
「…最低」
「あまりに予想外な質問で、答えどころか質問まで頭の中から消えてしまってさ。藤香《トウカ》先輩が聞くなら分かるけど、祈咲からの質問となると…意外というか何というか」
 絶対零度の声音を耳に入れると、蒼は冷や汗をかきつつまるで言い訳のように仕事仲間である女性の名前を出すが、室内の温度は下がる一方である。ふわりと広がる漆黒のドレスを着た少女は、その整った相貌も相俟って本物の人形のようにも見える。それだけに彼女を怒らせると怖い。
「……ごめん」
「最初からそう言えば良いのに。…私が聞きたかったのは何故人が生きているかということ。それから、人って死ぬ時に、最期に何を思うのかしら」
「それを、人の命を奪うのを仕事とする俺に聞くのか? 嫌な趣味だな」
 それまでは柔らかかったテナーが普段よりもやや低くなる。普段は敢えて祈咲は蒼の暗殺業について触れようとしないし、彼も彼女の前で仕事の話を口に出そうとはしない。何故今それについて触れるのか。蒼の微かな怒りを気にした様子も無く、祈咲は華やかに微笑みを浮かべる。
「貴方だから聞きたいの。…私の父様を殺した、蒼だから」
 まるで今日の食事のメニューについて話すように。当たり前のような口調で少女は言葉を紡ぐ。その顔には微笑みを湛えて。それは虚言ではなく事実だから。
「優しかった母様も殺した」
 頭に過ぎるあの夜の光景。悲鳴を上げる妻を守るように両腕を広げた男に銃口を向けた。倒れた夫に駆け寄ろうとした女性に再び銃を。その記憶を振り払うように男は傍らに置かれたナイフに手を伸ばす。
「綺麗で優しかった姉様も」
 血溜まりの中に広がる長い金の髪。虚ろに濁った蒼い瞳が何も語らずに男を見ていた。最期まで幼い妹を守ろうとしていた優しい少女。しかし、彼女が言葉を発する事は二度と無い。そしてその先で血に塗れたぬいぐるみを抱き締めて震える少女。紫水晶の瞳が真っ直ぐ男を見つめていた。立ち上がった蒼は数歩歩みを進める。
「今度は私も殺すの?」
 気付けば、少女の細く白い首筋にナイフを突き付けようとしていた。見えなくとも勘の鋭い彼女ならば気付いていただろう。だが少女は問い掛けたその言葉を最後に何も言おうとしなかった。我に返った彼は音を立てずにそれをテーブルの置き、もう一方の手で祈咲の髪に優しく触れる。
「…殺さない」
「嘘吐き。…貴方はきっといつか私を殺すわ。もしくは私が貴方の命を奪うの」
 差し伸べられた手に抗う事無く蒼は身を屈ませ、祈咲はその首に腕を絡ませる。互いの体温がただ心地良かった。家族を奪った男と、全てを奪われた少女の矛盾する関係。
「だから…ね、教えて? 何故人は生きているの?」
 甘い睦言を囁くように。ふと男はカレンダーを見る。先程蘇った記憶は丁度一年前の出来事だった。答える言葉を見つけられずに、男はただ瞼を落とした。





何故、そんなにも君は